現役ビジネス世代の方とお話をしていると中村天風さんのファンです、という方にしばし遭遇します。
すでに今から50年近く前にお亡くなりになった方ですが、今でも書店で天風本が平積みになっているのを見かけることがあります。
そこで今回は、中村天風先生に焦点を当ててみたいと思います。
中村天風さんを知ったのは、遡ること30数年前、当時関わっていた会社の社長が『天風先生座談』なる本を配っていたことでした。 その社長は、毎朝4時に起きて2時間ほど読書をしてから出勤する方で、良いと思った本はまとめ買いして、取引先や、会社の支店、営業所などに配っておられました。
ある支店の本棚でその本を見つけ、なぜか惹かれるものを感じて、読ませてもらったのがきっかけでした。
それは、天風先生の講演をそのままテープ起こしし、その原稿を本としてまとめられたものでした。
それから一時期、多くの天風先生の講演録を読んだり、実際の肉声のテープを聴いたりしました。
いつもいつも、ただ読むだけ、ただ聞くだけで、良いエネルギーに満たされていくのを実感して、元気の湧く、それはそれは楽しい時間となりました。
天風師30歳の時、当時致死性の極めて高かった奔馬性結核にかかります。 日本の当時の最先端の医学をもってしても病状は悪化の一途をたどり、欧米の最先端の医学を求めて米国と欧州に渡ります。 しかし、そこでも治療はかなわず、死を覚悟するしかなくなり、桜の咲く日本で死のうと思って、失意のうちに欧州から日本行き貨物船に乗りこみます。 明治44年のことです。
途中の寄港地のエジプトに停泊中、生きる屍状態で船の食堂で食事をしていた際、同じ船に乗り合わせていたインドのヨガ聖者のカリヤッパ師から声をかけられ、言われるままにヒマラヤの最奥地である今のシッキム州の小さな村に連れて行かれます。 そこはカリヤッパ師のベースであり、ヨーガと瞑想の指導に疑問を持ちながら淡々と生活をします。
滞在すること2年半。 遂に大いなる覚醒の体験がやってきたのでした。 この体験のくだりになると、講演でもあの天風先生が感極まって、毎回涙声になるところが圧巻です。
この魂の目覚めが、不治の病いと一旦は諦めた体の病気さえも克服させてしまったのでした。
大いなる『気づき』として体得したことは、本を読んで勉強する知的な理解を積み上げるのとは全く別物です。
それは『体験』としか言いようがないものですが、それ以前と以降では全く違う世界が広がります。
身体は筋肉を使うことで鍛えられるかもしれませんが、心はその真逆で使わないことで深められます。
心の体操第2は、その心を真空にする方法の一つです。